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旧ホテル小諸

土地:約250坪

家屋の面積:主屋 273.79㎡ (82.2坪)  蔵 37.26㎡(11.27坪)

主屋は「ホテル小諸」として営業していた建物で、繭取引などで財をなした実業家・伊藤長次郎さんが事業のゲストハウスとして昭和15年に建てたと推測されます。蔵もその時に建てられたものと推測されます。その後、昭和54年からホテル小諸に所有が移り、客室などが増築されました。

新館が西側に建てられ地下に連絡通路が設けられました。新館がこわされたので、新館との連絡口は塞がって地下室のようになっています。土蔵は、炉端焼き「囲炉裏」として営業していました。

ホテルは平成12年頃まで営業していましたが廃業となり、その後、しばらく空き家となっていたため、由緒ある建物を保存し活用できないかとして、書や刻字のアトリエとして使うため、故早川宗男氏が購入し、現在は「早川ひとし事務所」となっています。

しかし、施設の維持や管理等が大変なことから、建物を活かす形での購入希望の方がいれば相談の上、譲渡したいと考えています。主屋、蔵一体的な活用をお願いします。

​継ぐ蔵は、「実験利用」として賃貸で活用してもらっています。

(交渉中)

旧ホテル小諸平面図フレーム-02.jpg
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この建物の外観の城のようなデザインは、ここが実際に鍋蓋城であったことに由来します。

この場所は、「小諸の町がここから始まった」といえる場所と考えられます。

戦国時代のはじめ、1487年に大井伊賀守光忠が築いた鍋蓋城の跡で、現在の小諸城の前身にあたります。時代とともに城地が拡張され、小諸城の数ある曲輪の一つとして鍋蓋曲輪に位置付けられました。江戸時代に入ると城代家老の屋敷として使われ、高屋敷とも言われ、三ノ丸(大手門の内側)の防御(出城)として重要な位置にありました。明治時代に入り廃藩置県を迎え、岩村田警察署の小諸分室が置かれました。昭和になってから、旧北國街道の道路改良とともに、敷地が分断されこの建物が建てられたと考えられますが定かではありません。

この建物を建てた、伊藤長次郎さんは軍需工場「小諸航機株式会社」や、「小諸産業(株)」(田町)を発足させ、紡績・飼料・油類の製造販売を手掛けていました。ご自宅は、ここの通り(市道)を挟んだところにあり、ここを「ゲストハウス」として建て利用していたのではないかと言われています。その後、昭和30年ころに「ホテル小諸」を開業し、小諸産業の油工場で冷却用として使った水(熱湯)をパイプラインで「ホテル小諸」に引いて大浴場「クアハウス」(今は無いが浅間の焼け石を組まれていたと言われる)のお湯として利用していたと言われています。

共同主体:本町区まちづくり推進協議会、市町(本陣会、裏町会)有志、NPO法人小諸町並み研究会

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